英語は『不要不急』だけど『仲良くなったら得する』ものです

『不要不急』 は、コロナ禍で急速に広まり誰しもが馴染んだ表現の1つですよね。(ほかには『次亜塩素酸水』やら『ソーシャルディスタンス』やらでしょうか)

実は、私はこの言葉を初めて耳にした瞬間に「英語もそれやん⁈」と思いました。

日本に住んでいると、まだまだ英語は『不要不急』のものです。少なくとも私 (42歳) の世代は英語の “必要・必急” から逃げ切れるのではないでしょうか?ちなみに「英語は不可欠」と言われるようになってからずいぶん長い年月が経っています。(私が帰国した1993年には、すでにその風潮がありました)それでも、まだまだ英語ができなくても何の問題もなく生きていけます。

だから、『 英語は別にできるようにならなくてもいいし、習わなくてもいい。』

これは現代の日本に住む私たちにとっての真実です。

でも、『できた方がいい。そして、教えてくれる人から習った方が早い。』

これも真実。(だからありがたいことに私はお仕事をいただける)

ある意味、英語はまだまだ嗜好品です。嗜好品度合いでいうと、私の大好きなお酒や旅行、あるいはタバコなどと並ぶほどでしょう。学校の授業になっているとはいえ、現代において実際に生活する上で 必要か? No.   “必急”か? No.  となると英語は生活から除外してもいい、あるいは後手に回すべきもの、なのか… という、なんともいえなく寂しい問題が浮上する…。

みんな誰もが分かっているように、人とコミュニケーションを取るためには言葉は必需品です。そして極論を言うと、近所の、例えば半径1km以内の人たちとだけでもコミュニケーションを取ることができれば十分に生きていくことができます。さらに日本語ができれば、日本国内の人たちと日本語ができる(または日本語が分かる)人たちとコミュニケーションが取れます。つまり半径1km以上の広い範囲の人たちともコミュニケーションが取れます。

でも、世界はもっと広い。

そして世界はびっくりするくらい近くなってしまいました。
だから、み~んなが(せっかく学校でちょっと齧ったし)英語ができたい。

私は20年ほど英語教育業界にいますが、誰といつどこで出会ったとしても、私の職業を知ると、み~んなが英語にキョーミを示されます。なのに、英語をやらない、英語を続けない人が多い。このギャップが、私が日本で英語のセンセイをすることをやめられない (pretty much addicted to teaching) 理由です。。。

はい、そろそろまとめます。要するに、

① 始めようかなと思っているのであれば始めましょう。(その場所がうちでなくても、もちろん全然構いません。とにかく少なくとも1回どこかで体験レッスンを受けてみてください。)

② 合わないな、逃げたいな、と思ったらやめていいです。(英語は嗜好品ですから。)

③ でもね、楽しいですよ。できないことにチャレンジするのも、違う言語で必死に自己表現をしようとするのも、学ぶことも。

P.S. このブログの最後まで読んでくださって「そうなんだよね~」 と思ったのであれば、やっぱりうちで『体験レッスン』にお申し込みされてみてもいいのかもしれません ♪

いつか、あなたにお目にかかれますように。

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