声に出して読んでみていただきたい。
① 言語学習には終わりがない。
② 言語学習に終わりはない。
ものすごく似ている2文なのに、ニュアンスはだいぶ相異なる。言葉はおもしろい。
今朝 Facebook の投稿を流し読んでいて「…をコンセプトに先日本を出版しています」という文と衝突してしまった。「さきにほんを出版」????? せん日本?先に本…??ん、どういうことだ???と、無数の「?」が飛び思考停止状態。数秒後にやっと思考OSを再起動でき、「せんじつ、本を出版」だと理解した。
母語ですら、こんなことになるのだから、外国語を習得するなんて不可能なんじゃないか?
そんな疑問がみなさんに「始める」ことを躊躇させるんだろう。
そんなみなさんへの私の問いは、逆に「習得する必要があるの?」だ。
言語力なんて「ある程度」「ほどほどに」あれば十分だと、私は思う。
ぶっちゃけ言語力がなくても、優れた人柄と知恵があれば、どこでも誰とでもコミュニケーションは取れる。(英語のセンセーがこんなことを言ったらおしまいだけれど。)そして、個人の言語力が高かったとしても、コミュニケーションが成り立たないときは全く成り立たない。
でも、言語学習はオススメだ。
なぜだろう…。
「楽しいから」だな。
言語学習は、自分との対話から始まって、自分との対話に尽きる気がする。外国語を使うという行為はサバイバルゲームのようなものだ。知っている数少ない表現を駆使して、探索と妥協と閃きと再試行を繰り返す。何かを読んだり見たり聞いたりするインプットの行為であっても、話したり書いたりするアウトプットの行為であっても、終始、脳内OSは大忙し。慣れない外国語を使ったあとに疲労感があるのは、アドレナリンが回るからだと思う。
そして、ゲームと同じく、いつでもやめていいし、どこかでキリをつけるべきだったりする。
「戦略的に、つまり姑息に、言語学習をする」ために、いくつかのポイントがある。
① 深く考えずに、とりあえず始める。
始めると、ほどなくして自分の中で大きな反響がくる。
それがポジティブなものであれば続ける。(そうでなければ、それは今やらなくてもよいサインなので中止することをオススメする。)最初の盛り上がりが落ち着く時期がくる。(つまり飽きたり疲れたりし始める時期。)その時期に、②③に進む。
この間、できれば学習を慢心で続けておくとよいが、一時休止していてもかまわない。その場合は②③を通して、今後つづけるのか、いったん中止にするのか、を検討すべし。
② いつ、どうなったら、やめるのか、をふんわり決めておく。
③ 実のところ、何のためにやりたいのか、を突き詰めて確認しておく。
参考までに、私のスペイン語学習の戦略はこうだ。
② やめたくなったらやめる。
→ ただし出来るだけ続けたいから、やめたくならないように、緩く気楽に付き合い、勉強しない。
③ 娯楽のため。スペイン語がなんとなく好きだから。
→ 好きという自由な気持ちでいるために、具体的なシーンで使うためにはやらない。
もし、あなたの③が私のようにテキトーなものではなくて具体的な目的であれば、②はそれを達成したとき、という設定になるかもしれない。
要は、半永久的にやりたいのか、期限付きでやりたいのか、を決めること。そしてその決めを大切にすること。ただし、いつでも変更可。フレキシビリティも大切にするとよい。
①②③のあとに戦略会議を続けるとしたら、次に学習法の方向性を決めることになるのだと思う。
私の場合は、自分でやるのは不可能と決め込んでいるため習う以外の学習法はなく、習う先生や場所を変えることはあっても、習わないとなるとやめることになる。そのため、私の戦略会議はめちゃくちゃ短い。
私は、自分に合う先生に習うことが、効率よく確実に③の自分の希望通りに言語学習をするための最適解だと信じている。そして、20年間のティーチング経験の中で、私が「自分に合う先生」だと感じてくださった生徒さんが両手両足の指では数えきれないほどいたので、ほかの仕事に鞍替えしていないし、できない。
センセー業は果てしなくおもしろい。
自分の言語力が高くないと生徒さんに認めてもらえないし、この人じゃ話が通じない、合わないと思われたら、それでおしまい。生徒さんでいてもらえない。毎日が博打だ。同時に毎日が勉強。
先生は「先に生まれた」という漢字が充てられている。
大人に教える場合はその名が不相応なことになるときもあり、こどもに教える場合であってもその名だけでは不十分だ。精進するしかない。ティーチング中の脳波を調べたらえらいことになっていると思う。測ってもらう機会に恵まれたら是非、測ってもらいたい。日々勉強日々成長。
だからセンセー業を一生懸命にしている人は老いを知らず、いつまでも美しい。はず。私はそんな人間でありたい。
